Tags | Saijo-saku, Yoki-wazamono |
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Katana [Hankei(Noda Hankei)(Yoki-wazamono)][N.B.T.H.K]Tokubetsu Hozon Token






Stock number:KA-030124
Paper(Certificate): [N.B.T.H.K] Tokubetsu Hozon Token
Country(Kuni)・Era(Jidai): Musashi(Tokyo)・Early Edo period about 1615~
Blade length(Cutting edge): 71.5cm
Curve(SORI): 1.52cm
Width at the hamachi(Moto-Haba): 2.96cm
Thickness at the Moto-Kasane: 0.75cm
Wide at the Kissaki(Saki-Haba): 2.50cm
Thickness at the Saki-Kasane: 0.65cm
Habaki: One part, gold foil Habaki
Sword tang(Nakago): Sujikai file pattern(Mune: Higaki file pattern)
Rivet Holes(Mekugiana): 2
Shape(Taihai): Shinogizukuri, Mitsu-mune, Chu-kissaki
Jigane(Hada): Matsukawa-hada
Temper patterns(Hamon): Notare and gunome, Togariba
Temper patterns in the point(Bohshi): Midare then hakikake round tip
Registration Card: Shizuoka 1951
【Additional Information】
野田繁慶は生国を三河国、小田善四郎と称し、初銘を清尭と刻します。初め江戸に出て、幕府の抱工であった鉄砲鍛冶、胝惣八郎へ師事し、鉄砲工となります。徳川家康の抱え鉄砲工となった繁慶が刀工として転業の志を立てたのは、慶長十二年頃(1607)以降とみられます。同時期に家康が隠居するに伴って、駿府へ同工して移住後に鉄砲製作のほか、刀の製作を始めます。元和二年(1616)家康の没後、二代将軍秀忠の命により、江戸へ戻され、はじめ江戸には入らず、武蔵国八王子に住し、後に鉄砲町へ移って作刀に専心しました。鉄砲工から転じ刀鍛冶となった同工は、鉄砲鍛冶として培われた独自の技術を作刀へ活かし、同時期の諸刀工とは、一線を画す特異な作風をもった刀鍛冶として広く知られた名工であります。繁慶が師事した刀工としては、越前康継や相州綱広などと伝わりますが、詳細は定かでなく、茎の形から島田義助にも通じる点が挙げられます。同工鍛法である種々硬軟の鋼を用いて生み出される大板目に地景や金筋を強調したいわゆる「ひじき肌」は、相州伝中の則重の松皮肌と同様のもので、同工が郷則重を強く意識していた事が伺えます。
本作体配は二尺三寸六分強で、身幅重ね共に尋常、反り適度で中切っ先となる立派な刀姿の一口です。地鉄は大板目で、総体肌がよく現れ、地沸微塵に付き、地景強く太く入ってうねり、同工独特の鍛肌を呈します。刃文は湾れに互の目、尖り刃などを交えて大きく乱れ、物打ちにかけて焼を高め、匂口深く、刃縁に沸良く付いて明るく冴えます。刃中には金筋・金線、砂流し等頻りに掛かって、盛んに働きます。帽子はそのまま乱れて先掃きかけて返ります。茎は筋違鑢、差裏は鑢目を逆にし、棟は檜垣鑢が掛かり、刀工銘は繁慶ならではの彫銘となるなど特徴が示されます。
新刀鍛冶中、特異な作風で知られ著名である野田繁慶の一口。繁慶特有の松皮肌(ひじき肌)も現れるなど、随所に特色がみられ、興趣の尽きない優刀であります。白鞘、金着一重はばき、特別保存刀剣鑑定書。
For Reference Only. All prices and settlements are in Japanese yen.